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三木浩輔(法・1年)

今回は、三木浩輔選手(法・1年)のブログです。
いつも元気でチームのムードメーカーとして親しまれている三木浩輔選手。2024年は怪我や体調不良に苦しむ一年となりましたが、12月には2レースに出走し、復調の兆しを見せました。
2025年は、さらにパッション溢れる走りで活躍してくれるでしょう。

こんにちは。法学部法学科1年の三木浩輔です。
早速ではございますが、今回のブログでは私の生い立ちについて綴らせていただきます。

私は、姫路城で有名な兵庫県の姫路市で生まれました。私が陸上競技を始めたきっかけは、兄がマラソン大会で優勝するという目的の元、一緒に陸上クラブに入ったことです。全国大会優勝の実績もあるハイレベルなチームで、当時小学1年生だった私は、低学年で唯一平日の練習に参加していました。運動をするのは好きだったのですが、あまりのキツさに涙を流した記憶があります笑。しかし、その苦労のおかげか同学年との勝負はほとんど負け無しでした。しかし、2年生になると1年生の時には余裕で勝てていた相手にも歯が立たず、周囲の自分に対する評価が落ちていくことに恐怖を覚えました。3年生になってもその状態が続くことで、プライドがなくなり、何のために陸上をやっているのかが分からなくなりました。そんな中、4年生の時に親から当時流行っていた青山学院大学さんの体幹トレーニング「青トレ」を教えてもらいました。毎日継続していると、陸上の成績も徐々に伸びてきて、大会によっては優勝することが出来るようになりました。そのおかげで自信もつき、5年生の冬には全く勝つことのできなかったライバルたちにも勝てるようになりました。その状態は6年生でも続きましたが、中学に入った途端、 ライバル達のレベルがグッと上がり、上位争いに食い込むのもやっとになってしまいました。コロナに苦しみ、中学3年の全国大会もギリギリで標準タイムを切ることができず、目の前が真っ暗になっていました。そのまま高校に入学し、気づけば大学の進路を決めなければいけないときが迫っていました。特に目立った実績も残せず、不安定な精神状態の中でも唯一続けてきた陸上競技の可能性を進路において広げることが出来ない自分に嫌気が差しました。私は普段自己肯定感が高いのですが、その時だけは自分のことが大嫌いになりました。しかし、その出来事のおかげで遂に吹っ切れました。自分は一体今まで何をやっていたんだと、今やれることを全力でやるしかないだろうと心の中で強く唱えました。そのおかげと言ってはなのですが、周りからの多大なご支援により1年の時から志望していた立教大学に入学することが出来ました。

2024年は、怪我や体調不良で苦しみ続けた1年でしたが、せっかくの素晴らしい環境をいただいている現状に感謝し、駅伝部のエースになれるように高い意識を持って頑張りますので、どうかご声援のほどよろしくお願いいたします。

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