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真田大輔(法・1年)

今回は真田大輔選手(法・1年)のブログをお届けします。
優しい笑顔が印象的な真田選手。
先輩とも積極的に関わり、学年を越えて良い空気をつくる存在です。
日々の積み重ねを大切にし、安定した走りで着実にレベルアップしています。
その明るさと人懐っこさでチームを支える真田選手の今後の活躍に、ぜひご注目ください!

ブログをご覧の皆様こんにちは!法学部法学科1年の真田大輔です。
ブログといいうものを書くのは初めてに加えて、先週のブログで木代さんがハードルを上げたことによりすごく緊張して書いておりますのでどうか温かい目で読んでいただけると幸いです。
初回なので僕の陸上人生について語っていこうと思います。
陸上人生の始まりは、小学4年生です。僕の出身の小学校では朝に希望者だけが集まり、短距離、長距離、走り幅跳びなどの陸上競技を練習していました。4年生時の僕は長距離走においては大がつくほど嫌いでした。しかし、その年の冬に気持ちが変わる出来事がありました。その出来事とは市の1500mのタイムトライアルに出場したことです。結果は散々で喜べるようなものではありませんでしたが、その時なぜか長距離を楽しいと思えたのです。今でもなぜなのかよくわかりません(笑)。そこからは長距離に没頭するようになり、小学校卒業時には5分一桁ぐらいまで記録を伸ばしました。
中学生になり僕は迷わず陸上部に入部しました。最初は特に目標もなく「勝ちたい」、「ベストを更新したい」という曖昧な思いで日々練習しに取り組んでいました。そんな僕の陸上人生を大きく変える出来事が起こりました。それは國安さんとの出会いです。ご存じの方もいると思いますが國安さんは中学時代からの先輩です。当時の僕は國安さんの全中出場の横断幕があったのと、先輩たちから聞いていたので名前こそ知っていましたが、どれだけすごい人か理解していませんでした(全中出場の凄さもあまり理解していませんでした笑)。しかしゴールデンウイークだったと思いますが、國安さんが練習に顔を出してくださり一緒に走った時は衝撃を受けました。國安さんが速いのは当然なのですが、フォームが凄くきれいで強く憧れたのを今でも覚えています。その日、家に帰ると僕はお母さんに「全中に出たい」「須磨学園に行きたい」と言っていたそうです。そこからは明確な目標ができ、小学生の時にはほど遠かった中学1年生で県1500m7位入賞を果たしても悔しいと涙を流せるほどに打ち込んでいました。その後はコロナにより部活ができず現状維持程度の練習しかしていなかったので伸び悩んだものの、沢山の方々のおかげで全中に出場することができ、須磨学園にも入学することができました。
高校の目標も國安さんが5000mでインターハイ出場し、2年時には都大路を走っていたので、自然とそれが僕の目標になりました。加えて國安さんが立教大学に進学していたので立教大学への進学も目標になっていました、しかし現実は甘くなく、高校ではたくさん怪我に悩まされインターハイ路線の最高成績は2年生の1500mで県大会決勝進出程度でした。そして3年生に上がる直前、僕はアキレス腱部分断裂してしまいました。当時の僕は、目立った成績もなく焦りもあったので練習をしましたがインターハイはそんなに甘くなく神戸市の予選落ちでした。幸いなことに立教大学への指定校があり使わせていただくことができたので立教大学には進学することがほぼ確定という状況になり、安心したのか肩の力が抜け治療に専念することができました。正直僕自身が都大路を走ることは不可能だと思っていましたが、山口監督をはじめチームメイトが「お前ならいける」と言ってくださったおかげで何とか間に合い都大路を走らせていただくことができました。今でも家族をはじめ支えてくださった方々や復活を期待してくれていたチームメイトにはすごく感謝しています。そして立教大学にも無事合格することができ、今こうして立教大学駅伝部の一員として日々生活送れていることをうれしく思います。
以上が僕の今までの陸上人生でした。色々な場面で國安さんが登場し、自分でも少し引くぐらい憧れているのだと思いました(笑)。僕の好きなアニメキャラの一人、黄瀬涼太が言っていました。「憧れては越えられない」と。だからこそ僕は國安さんという存在を「憧れ」から「超えるべき目標」としこれからも頑張っていきたいと思います。
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
残り3週間弱で箱根駅伝です。残りの期間体調不良等に気を付けながらチーム一丸となって頑張っていきたいと思います。
次のブログは須磨学園族の1人、三木さんです。彼は高校時代からユーモアのある面白い先輩なので、きっと面白いことを書いてくれるでしょう!どうぞご期待ください!

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