今回は、吉屋佑晟選手(経営・4年)のブログです。
11月2日に行われた全日本大学駅伝では、2年連続となる1区を力走しました。
普段は明るくチームを盛り上げる存在ですが、競技では冷静な走りで仲間を引っ張ります。
ラストイヤーとなる吉屋選手。想いのこもった走りをぜひご覧ください!
こんにちは!
経営学部経営学科4年の吉屋佑晟です。
今回は、最後のブログということで私自身の陸上人生を振り返ってみようと思います。
陸上を始めたのは小学5年生の頃でした。もともとスポーツは好きでしたが、少し飽きっぽい性格で、野球・水泳・テニスなど様々なスポーツに挑戦しながらも、どれも中途半端に終わっていました。
そんな中、近所に日本記録保持者の山縣亮太選手が所属していた陸上クラブがあると聞き、「足の速さには自信があるし、自分より速い人はいないだろう」と思いながら体験に行きました。
しかし現実は甘くなく、短距離では全く歯が立たず、80mハードルで県8位になったぐらいで賞状をもらって喜んでいた記憶があります(笑)。
一方で、長距離では短距離で勝てなかった相手に勝つことができ、自分が活躍できる場所はここだと小学生ながらに感じました。中学生になると、クラブチームと部活を両立しながら本格的に長距離を始めました。
部活では短距離専門の顧問しかいなかったため、アップやドリルも短距離選手と同じように行っていましたが、今振り返るとその経験が現在の走りにも繋がっていると感じます。
全国大会には出場できなかったものの、少しずつ成長を実感できる中学時代でした。
高校に入ってからは、1年目から試合に出場させていただき、多くの経験を積むことができました。しかし2年目に貧血を患いました。当時の私は、貧血という症状を知らず努力し続けても結果が出ないという負の連鎖に陥りました。中学時代よりも1500mのタイムが遅くなり、ライバルに差をつけられていく自分が惨めで、初めて「陸上を辞めたい」と思いました。それでもあきらめずに続けた結果、3年目にはインターハイに出場することができました。他の人から見れば「出ただけか」と思われるかもしれませんが、私にとっては長いトンネルを抜けた瞬間であり、その過程こそが何よりも価値のあるものでした。一度は辞めようと思った陸上でしたが、幼い頃からの夢だった箱根駅伝に出たいという気持ちは消えませんでした。そして、「立教大学で自分たちの手で歴史をつくりたい」という想いから入学を決意しました。ここまで私の陸上人生をつらつらと語ってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。ちなみに、小学生の卒業文集には「箱根駅伝に出場して区間賞を獲る」と書いていました。その夢を実現できるよう、残りの期間を全力で走り抜き、陸上を続けて本当に良かったと思える結果をチーム全員でつかみ取りたいと思います。
写真© 月刊陸上競技

