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國安広人(経営・4年)

今回は、國安広人選手(経営・4年)のブログです。
國安選手は、10000mの立教大学記録保持者であり、チームをまとめる主将として仲間から絶大な信頼を集める存在です。競技でも、日常でも常にチームの中心に立ち続けてきた國安選手。
そんな“立教の大黒柱“が迎えるラストイヤーの走りに、ぜひご注目ください!

こんにちは。経営学部経営学科4年の國安広人です。
日頃より、立教大学男子駅伝チームへの温かいご声援、そして多大なるご支援を賜り、心より感謝申し上げます。そして、先日の箱根駅伝予選会では多くの応援をいただき、本当にありがとうございました。このブログは予選会前に執筆しているため結果は分かりませんが、昨年度のような過酷な大会になっていないことを祈ります。

最近は秋を感じる日が続いておりますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。私は、趣味のコーヒーを香り高いホットで快適に飲めるようになったことで、季節の移り変わりを実感しています。

さて、早いもので私も4年生になり、このブログの執筆も今回が最後になりました。これまでブログの内容を決めるのに苦悶していましたが、今回のブログの内容はすんなり決まりました。そうです、4年生といえば「振り返り」です。今回は私の競技人生をざっくりと振り返りたいと思います。

陸上を始めたきっかけは、小学校6年生の時に出場した、皆さんご存じ「S&B杯ちびっ子健康マラソン大会」で6位に入賞したことです。当時の私は水泳に取り組んでいましたが、陸上クラブの子たちに混ざって入賞したことが自信になり、両生類のように水中から陸に上がってきました。そして中学校に入学して陸上部に入り、私の競技人生が本格的に始まりました。中学時代は顧問の先生に見守られながらも、自分たちで練習メニューを決めることが多かったのですが、今思うと脳筋なメニューをひたすら競い合いながら行っていました。そのおかげで1年目から学年別の県大会の決勝を走ったり、県代表で駅伝を走ることができ、競技での走る楽しさを知りました。

中学校の陸上の成績もあり、高校は県内の強豪である須磨学園に進学しました。憧れの学校に進み、先輩も同期も速い人ばかりで1年目は圧倒されました。怪我が多かった時期もありますが、2年目からは駅伝を走れるようになり、次第に力が付いてくる実感を持てました。電車通学で朝早く家を出て、学校では練習と勉強に勤しみ、夜遅くに帰る生活は大変でしたが、高校の3年間が私を大きく成長させてくれたと思います。

高校で進路を考える時には、半世紀ぶりの箱根駅伝出場を目指す立教大学に強く惹かれ、進学を決意しました。高校を卒業する時に同期からは、「立教が箱根に出るのはあと2、3年はかかるんちゃう?」と言う話が冗談交じりで出ました。正直、私もそれぐらいの時間はかかるだろうと思っていました。しかし、その予想はいい意味で覆されました。チームは1年目に予選会を突破し、3大会連続で箱根に出場することができました。伝統校の久しぶりの出場から連続出場になるまでの過程に関わることができたのは本当に貴重な経験です。

ここまでの競技人生を振り返ると、本当に周囲の人に恵まれていたと感じます。一緒に練習をこなす同期や先輩、後輩はもちろんのこと、自分の試合の結果を気にしてくれたり、応援してくれる学校の友達、指導していただいた中学、高校、大学の監督と顧問の先生、怪我や痛みを親身になって治してくれた治療院の先生、とここには書き尽くせない人との関わりや支えのおかげで、今日の自分はあると思っています。特に中学と高校の陸上部の同期や先輩後輩は、正月に兵庫から箱根駅伝の応援に駆けつけてくれて、本当にいい人達に恵まれていたのだと改めて感じました。拙い言葉ですが、この場で感謝申し上げたいと思います。

最後の方は少し遺書じみてしまいましたが、競技ラストイヤーはそんな人達への恩返しとして走りたいと思います。個人としてもチームとしても皆様に良い報告ができるように死力を尽くして走ります。長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

引き続き、立教大学男子駅伝チームへの温かいご声援をよろしくお願いいたします。

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